ショッキングで言葉がありません。
[マイネル軍団の総帥]岡田繫幸さんが3月19日お亡くなりになられたと報道がありました。71歳の誕生日だったそうです。
「ダービーを勝つのが夢」と公言し、馬の素質を見抜く相馬眼の天才‼と言われていた総帥が道半ばで天国に旅立たれたのは非常に残念の極みです。
【MY出資馬データ分析】1口馬主 相馬眼は成長できるか
岡田繫幸さんを偲び、非常に僭越ながら功績を検証します。
【1kuchi的結論】日本競馬会に多大なる功績‼
3.無名の血統馬を安価で購入し大成させる
2.地方競馬を活性化
そして何といっても
1.一口馬主という競馬の楽しみを広く普及
1点ずつ見ていきます。
3.無名の血統馬を安価で購入し大成させる
北海道の牧場をくまなく回り、年間数千頭の中から見込んだ馬を、セリや庭先で買い取り、鍛える。
・グランパズドリーム(父カブラヤオー)86年ダービー2着 中村充信氏産
・コスモサンビーム(サグレブ)03年朝日杯FS ヤマオカ牧場産
・コスモバルク(サグレブ)06年シンガポール国際IC 加野牧場産
・イクスキューズ(ボストンハーバー)07年クイーンカップ ビックレッドファーム産
・プレイアンドリアル(デュランダル)14年京成杯 森牧場産
・トラスト(スクリーンンヒーロー)16年札幌2歳S, 中本牧場産 等
名前を挙げたらキリがない程ですが、血統的に無名で安い馬だが体のバランス、筋力に加え筋肉の質の見極めをポイント。そのような安い馬でも追い運動を早期に開始して育成で鍛えて強くするという工夫をされていたと聞いています。特に90年代・00年代の頃は「サラブレッドクラブ・ラフィアン」の「マイネル」「マイネ」の馬が今の2歳戦で良く走っていたのを覚えています。
また競馬界に常に話題を振りまいてこられ、新聞や競馬中継でも鋭い解説で人気がありました。自分もサンスポでGI予想で解説されている時は楽しみに購読していました。
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2.地方競馬を活性化
当時は地方競馬は苦しい経営を強いられている時に、「中央と地方との格差を埋めていかなければ良くならない」と地方競馬に外厩制度を採り入れ、第1号のコスモバルクは、ホッカイドウ競馬所属のままJRAの大レースに挑戦。弥生賞を制して皐月2着、ダービー8着,菊花賞4着とクラシックを沸かせ,ジャパンカップでも2着と好走。06年にはシンガポール国際ICでは海外G1制覇を達成しました。他にもプレイアンドリアル、ナイママ等地方から挑戦を続けるなど、競馬界の発展に非常に貢献されていました。
1.一口馬主という競馬の楽しみを広く普及
ビックレッドファームを開設して「サラブレッドクラブ・ラフィアン」を立ち上げ、一口馬主という競馬の楽しみを広く普及して頂きました。87年にクラブの1期生がデビューすると、88年にはマイネルフリッセ(父リードワンダー)、マイネルグラウベン(コインドシルバー)、マイネルムート(ファインポート)次々に重賞を制覇。いずれの父も主流血統ではなくても走る馬を出すことでファンの心を掴みました。GI勝利は
・マイネルマックス(朝日杯3歳)
・マイネルラブ(スプリンターズS)
・マイネルレコルト(朝日杯FS)
・マイネルキッツ(天皇賞春)
・マイネルネオス(中山グランドジャンプ)
・マイネルホウオウ(NHKマイルC)
個人馬主が多く、そして強い時代においても、安いクラブ馬でもG1を勝てることを証明して、又社台グループの対抗格として常に話題を振りまいてくれました。
僕個人としては、1口馬主を始めようと検討したとき、「マイネル」「マイネ」で活躍馬を多く排出し、募集価格の安いラフィアンは当然候補の一つでした。しかしその当時ラフィアンは100口、200口募集でしたので、貧乏サラリーマンとしては500口募集で1口あたりの価格が安くなるシルクホースクラブを選択した次第です。その為「サラブレッドクラブ・ラフィアン」とは縁がありませんでしたが、1度お会いして話を聞いたみたいと思わせる競馬会の1人でした。
まとめ
・無名の血統馬を安価で購入し大成させる
・地方競馬を活性化
・一口馬主という競馬の楽しみを広く普及
1代でマイネル軍団を作り上げて、また競馬を愛しておられた方がまだ早いです。本当に残念です。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
では、また!